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パソコン・インターネット

昨秋にIS01とIS03を相次いで入手

かなりご無沙汰していました。
昨夏、iPhone4がほしいなどというエントリを書いていたのですが、結局、昨秋9月にauのAndroid携帯のIS01を、11月にIS03を相次いでゲットしました。

主にIS03を手にとっていることが多いのですが、mixiの某所のコミュニティに入会した時の紹介文をアップしておきます。

以下・・。

1.IS03に対する情熱

auのケータイを10年以上使い続けており、Android携帯の登場を待ち焦がれていたのですが、でてきたのはIS01という変化球。ようやく昨年9月頃に2chの情報リークでIS03~06が出るという噂を知り、発表した当日にauショップで予約。11月26日に白を入手しました。

なお、10月にいきつけのauショップでIS01が0円で売られているのを見て、つい新規契約してしまい、Wifiオンリーで使っております(いわゆる8円運用)。

IS03は、購入後約1ヶ月問題なく使っておりましたが、突然リブートを繰り返して待ち受け画面に到達できなくなるという故障に見舞われ、12月23日にauショップに持ち込み、預かり修理となりました。約1週間後、ちょうど大晦日の日に基板交換となって戻ってきました。その間、ガラケーにSIMを戻して使っていましたが、戻ってくるまでの長かったこと。もはやIS03を手放せない身体になってしまっていることがわかりました。

交換後は極めて調子が良く、バッテリ回りも含めて特に問題はありません。


2.どんな使い方をしたいか

基本的には、Google系のアプリを利用した情報集積、情報加工ツールとしての利用が最大の目的ですが、皆様と色々と情報交換させていただき、もう少し別の使い方(音楽・映像関係)や、可能ならroot化関係(むろん自己責任で)もできたらいいなと思っています。


3.おすすめAndroidアプリまたは、使ってみたいアプリ

<おすすめアプリ>
IS01の頃から数えると、もう何度もオールリセットでの環境再構築を行なっています。そんな私にとって、APP List Backupは、アプリをマーケットから直接ダウンロードしてくれる極めて便利なツールだなと思いました。Appmonsterもよいのですが、SDカードに多くの容量を必要とするのと、コピー不可のアプリが相当数ありますので・・。

もうひとつ、Oruxmapsというアプリですが、あらかじめGoogleマップを変換して専用mapを作成しておけば、オフラインでもGPSロガーとして利用することができるという面白いものです。主にIS01で使っていたのですが、IS03でも問題なく動作し、時々利用しています。英語版なので少しハードルが高いかもしれませんが・・。

<使ってみたいアプリ>
あまりアプリのことを知らないのですが・・、強いて言えば、Barnacle Wifi Tether あたりでしょうか。root化が必要ですが、これができれば、WifiオンリーのIS01も活きてくるので・・。

以上ですが、だいたい同じ操作ばかりしているので、実際には、IS03のことはよくわかっていないのが現状で、当たり前のことができなかったりします(苦笑)。ぜひ皆様と一緒にIS03に対する知識と愛情!をさらに深めていきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

スマートフォン物欲あれこれ

本日、名古屋近郊の実家に帰省しました。途中のルートはほとんど渋滞もなく快適でした。夜はやることもないので久しぶりにネットをさまよって色々と情報を収集していますが、iPhone、Androidを中心とする携帯関係の情報が面白い。

現在、auのケータイ(3年前の機種)で、戻らないキーがあるので(時間がたつと戻っている)、そろそろ買い替えようと思っているところで、自らにとってもかなり切実な問題です。今は、次の機種としてどのスマートフォンにしようかというのが悩み。AndroidかiPhone以外は選択肢から除外しています。やはりこういうのは多数派につかないと・・。

できれば、キャリアはauのままでいきたいところですが…。現在auから唯一Android携帯として出ているIS01は、qwertyキーボードが特徴ですが、なんだか電子辞書っぽくて、あまり欲しいという気持ちがそそられません。今後、auではおサイフケータイ機能付きのAndroid携帯を出していく、というアナウンスをしていますが、そんな機能は使わないし、これまで築いたezwebの課金システムを崩したくないという気持ちが見え見えで、気持ちが萎えてしまいます・・。

欲しい!と思えるのは、iPhone4です。何といってもデザインが秀逸。しかし、これを買うとなると、キャリアをソフトバンクにする必要があり、色々面倒なことが多すぎる・・。

で、調べていたら、iPhone4とだいたい同じスペックで携帯電話の機能(たぶんGPSも)がないだけの、次期 iPod touch(カメラ機能あり) が今月か来月に発表されるという噂を入手しました。

iPod touchなら無線LANが使えますから、自宅(光+無線LAN)では全く問題なくiPhoneと同様に使えるはず。外出中は、無線につながないでも良いと思っていますが、超小型のWiMAXのモバイルルーターが出ているので、一緒に持ち歩けば、比較的安価に(月4000円程度)接続できるはずです。金額はケータイの○○ホーダイなどのパケット定額サービスと変わりませんが、何といっても速さが違います。最近ようやく自宅のある地域がWiMAXの範囲にはいってきたというのも追い風(自宅では使いませんが)。

このモバイルルーターのよいところは、iPadやDSやPSPなどの無線LAN対応の電子機器も出先で同時に使えること。まだiPadもってませんが、このモバイルルーターを買ったら、欲しくなるかもしれません。

どうしようかと色々と妄想はつきません。

5月のアクセス記録

記事のねたがないときに良く使うアクセス記録ですが…。

ココログの記録を見てみると、5月は
 アクセス数合計: 1,361 (日平均: 44)
 訪問者数合計: 638 (日平均: 21)
と毎日約20名の方が来られているようです。

私のブログの場合、記事が増えるにしたがって自然とアクセス数が増えてきたようです。自分としては思っていることを書いているだけなので、アクセスが多いほうが良いとも思っていませんが…。

検索してこられている方も多いようなので、どんな情報を求めて来られているのか見てみました。ざっとの分類したものをグラフにしてみます。件数は以下の通りです。

知財特許系      184
心筋梗塞・障害   38
個人特定           31
カーナビ             23
たまごっち          14
GTD                  13
音楽・ピアノ        13
病気症状             6
西郷                    5
その他               16

「個人特定」は適切な用語ではないかも知れませんが、例えば、"只今療養中"とか"pecan 知財"のように直接このブログを探してアクセスしてきたものです。0705_5

やはり知財特許系がダントツです。さらに細かく見てみると、

知財検定                 56(うち1級が29件)
知財一般                 44
データ捏造               35
特許要件・審査対応   20
FI/Fターム検索         16
クレームドラフト           7
審査官                      4
弁理士試験                2

となっています。知財検定のアクセスが多いのは情報不足によるものが多いと推測されます。特に、そのうち半数以上が"1級"という言葉を検索用語に含めており、1級の情報が少ないことが如実に現れているようです。残念ながら、現時点ではこのブログには1級の情報はほとんど蓄積しておりませんので、無駄足を運ばせてしまったかもしれません。一応、次回受けようと思っているので(そろそろインターネットの申し込みの締め切りですね)、いろいろ情報を蓄積していこうとは思っています。

知財一般は分類に困るものが多いのですが、中には「弁理士 知財 転職 給料」とか、「特許技術者の需要」という検索ワードがありました。たぶん就職、転職を考えている方なのでしょう。特に前者は、弁理士が知財に転職した場合どの程度の給料がもらえるか、という意味でしょうね。会社によってはある程度の資格手当(月数万円?)を用意する可能性がありますが、そこから先を望むのならば、自分で実務能力を磨いていただくしかないと思います。現に私の周りにも、弁理士として転職してきた方が結構おられますが、実務能力はピンキリです

ところで、検索ワードとして「特許部門 地味」というのがありました。そんな記事を書いた覚えはないのですが、やはり特許部門は地味ですかねぇ。

心筋梗塞・身障者関係のアクセスも多いです。特に、心筋梗塞(ステント・バルーン等)と身障者(手帳)とを組み合わせた検索が心筋梗塞・身障者関係全体の8割程度であり、心筋梗塞で身障者に認定されるかどうかという情報を求めておられる方が多いようです。これは主治医がどのように判断するかによると考えたほうが良いでしょう。自治体が医者の判断を無視するとは考えにくいからです。

カーナビ系は問題のある検索が多く、半数近く(9件)がデータの不正コピーに関するものでした。きちんと正規品を買いましょう。

たまごっち電池交換に関する記事を一回書いたのが、ロングヒットになりました。買ってからもう1年半になりますが、いまだに娘のたまごっちは動いています。電池交換も約3ヶ月に1回していますので、すでに5回くらい交換したでしょうか。学校に行っている間などに何度も病気になって昇天してしまったようですが、アイテムはずっと引き継がれるようです。記事の中に電池の品名(CR2032)も書いておいたので、出先で電池の品名を忘れてしまったときに、携帯でチェックして買って帰ることができ、助かったことがありました。

その他は以下のとおり、全く書いた記憶のない記事ばかりで、逆に言えば、この意外性が面白く感じられます。

「整理 机 管理職」
管理職の机の上を整理するという情報の検索でしょうか? 私の机の上は汚いので参考にはなりそうにありませんね。

「エコー 陰毛 検査」
「陰毛 一つの毛穴 2本の毛」

コメントしづらいのですが、以前のカテーテル検査のときの記事が引っかかってきているのでしょう。しかし2つめの検索ワードは何でしょうか。一つの毛穴に2本の毛が生えているということでしょうか。気になりますね。

「滋志 読み方」
なんと読むのでしょうか。わかったら教えてください。

「blogの影響による自殺例」
掲示板による自殺例はどこかで見たような気がしますが、blogも同じことですね。この場合、blog開設者が加害者なのか被害者なのかがわかりませんが、気をつけたいものです。

「猫を轢く」
これは書いた記憶があります。飛び出してきた猫を避けようとして人身事故を起こしたケースに対するコメントです。

「VBAオセロ」
これは何だろう。VBAでオセロを作るということでしょうか。Excelのマス目を利用すれば、比較的簡単にできるかも知れませんね。

「90年代のパソコン 大きさ」
確かに90年代のパソコンは大きかったと思いますが、このような漠然とした検索で答えにたどり着いたのでしょうか。気になります。

パソ通懐古録(その2)

さて、パソ通懐古録(1)が長くなりすぎましたので分けます。

Pecanがパソコン通信を始めた当時、「パソコン通信」という言葉から連想するものといえば、チャットとオンラインソフト(今で言うフリーソフト)の2つが双璧でした。PC-VANではギタリストのクロード・チアリ氏の主催するSIG(フォーラムのようなもの)があり、様々なソフトが登録されていましたが、自分としては使いづらく、自然とNiftyのフォーラムに居着くようになりました。最初の頃は、チャットにはまった時期もありましたが、すぐに飽きてしまいました。

フォーラムは、テーマごとにたくさんのものがあり、Pecanが行っていたフォーラムを挙げてみますと、例えば、FSCIはサイエンス関連の話題を扱ったフォーラム、FGAL**はソフトウエアギャラリーといって色々なソフトウエアが集積されている複数のフォーラムでした。ところで、FGAL**でギャル(死語)が集まっていると誤解した人がいたとかいなかったとかw

フォーラムでは、基本的に複数の会議室があり、新しく来た人が挨拶する会議室、テーマ毎の質問と回答の会議室、雑談の会議室などがありました。匿名(ハンドル)で会議室に書き込み、それに対してレスを返し、スレッドが形成されていくというやりとりが会議室の基本的なコミュニケーションの形態です。ハンドルだけでしか知らない相手と文字だけでコミュニケーションを取る必要が出てくるわけで、ずいぶんと訓練されたような気がします。その中には、様々なネット上の決まり事(ネチケット)がありました。今でもインターネットの掲示板等で“マルチポストはダメ”などという発言をみかけます。要するに、同じ質問を色々な場所で行なってはいけない、というものです。こういったネチケットは、インターネット時代になっても生き残っているんですね。

上述したように、パソコン通信では文字だけのやりとりが基本ですから、通常の世界における実体的な人と人との交わりとは異質なものがあります。なかなか、この本質を理解するのは難しく、フォーラムに参加する人同士でトラブルが絶えませんでした。会って話せば何でもないことなのに、何気なく発した言葉にひっかかり、大きなトラブルに発展してしまう。当時のパソコン通信の達人?から教わったことですが、“かっとなったときには、すぐにレスするのではなく、書いた後、一晩おいて、それでも気持ちが変わっていなければ、レスしなさい”というものがありました。これはパソコン通信に限らず、メールでのやりとりでも基本となります。今でも、仕事等で腹の立つような内容のメールを受け取ることがありますが、そんなとき、返信を書いてからすぐ送るのではなく、しばらく冷却期間をおいてみると、不思議と落ち着いているもので、返信の文面をマイルドに書き換えたりすることがよくあります。これでいくつものトラブルを未然に防止しています(笑)。

ところで、Niftyの場合、フォーラムごとにフォーラムマネージャ、サブシス、ボードリーダーなどの役割を持つ人が決められていて、フォーラム運営を任されており、そのようなトラブルが発生しても、だいたいはうまく仲裁するようになっていました。このあたり、やはり有料のサービスならではのものであり、現在の無法地帯となったインターネットの匿名掲示板とは一線を画していると言えます。

ただ、Niftyもフォーラムとは独立した一般の掲示板(名前も忘れてしまった)があり、そこでは発言者のNiftyのIDこそ表示されるものの、無法地帯で罵倒の泥沼と化した魑魅魍魎の住む世界でした。Pecanも余計なことを言ったか何かで罵倒された経験が(苦笑)。そのうちに、会員情報を公開にしている人しか発言できないシステムになり、若干改善したような傾向がありますが…。

さて、パソコン通信の結果は、全てログファイル(テキスト)に保存されます。このログファイル、オートパイロットで巡回すると、だんだんと巨大にふくれあがってきます。巡回する会議室が増えると、一晩で数千行から数万行にも及ぶ膨大なものとなり、到底目を通し切れません。また、会議室での発言の流れもだんだんと忘れてしまって、さっぱりわからなくなってきます。

うまいもので、専用のログカッター、ログブラウザがMS-DOS時代に開発されており、フォーラムで公開されていました。巡回が終わると自動でログカッターでログを切り刻んで、フォーラムごとに別々のディレクトリ(フォルダ)に落とし込み、それを専用のログブラウザで読んでいくことができます。発言ごとに発言者のIDとハンドル、レスの対応関係(スレッド)が表示され、会議室の発言が極めてわかりやすい状態になっています。読みながら、レスを返したい発言に対しては、発言用に割り当てられたキーを押せば、自動でエディタ(自分の好きなものを設定、PecanはVzエディタ)が立ち上がり、レスを書き込むことができます。書き終わったレスは、パソコン通信ソフトのオートパイロットの、発言アップロード用のディレクトリに自動で保存されます。こうしてレスを書き終わると、明け方に立ち上がるように通信ソフトをセットして就寝するだけ。朝になれば、ログブラウザを立ち上げると、会議室で行なわれた自分の発言を読むことができます。

今から思えば、MS-DOS時代にお世話になったフリーソフトは、機能が簡単でシンプルでした。ログカッターは、ログの特徴的なパターンをマッチングして、決められたディレクトリに保存するだけですし、ログブラウザもパターンマッチングして、表示させればよい。それぞれが他のソフトとの関係を意識して作られていましたから、組み合わせることによって、極めて快適なパソコン環境を作り出すことができていました。他にも、ファイル管理ソフトでは、FD(作者の出射厚さんが亡くなられたそうで、ご冥福を祈ります)やFILMTN(フィルメンテ)は、圧縮解凍ソフトのLHAやエディタなどの外部ソフトと極めて良好に連携させることができました。PecanはFILMTNを基本的な操作環境にして、使用するアプリケーションは全てこのソフトにショートカットキーとして割り付けていました。

ところで、Windowsになってからは、複数のソフトを相互に連携させて使うなどということはあまりやられていないようです。一つ一つのソフトが重くてサイズも大きいため、複数の機能を一つのソフトの中に備えていなければ使いづらいからだろうかと思っています。

話が逸れました。

パソコン通信をやっていた時代は、だいたい91年から2000年の約10年間で、後半の5年はインターネットが普及した時期と重なっています。当初は、なかなかインターネットのメールとNiftyのメールが接続しないため、使いづらかったな、という記憶があります。

さて、パソコン通信でどんなことをやっていたか、記憶をたどってみると、だいたい次の4つを熱心にやっていた記憶があります。

  • パソコンでの音楽演奏・作成(92~95年頃)
  • LaTeX(92~97年頃)
  • MS-DOSでのメモリ領域確保(93~95年頃)
  • 知人のホームパーティでの活動(94~2000年頃)

それぞれ、書いていくと非常に長文になってしまいますので、折を見て懐古してみたいと思います。

パソ通懐古録(その1)

さて、前回の続きとして、PC懐古録(その3)にしようと思いましたが、内容がPCというよりはパソコン通信ですので、“パソ通懐古録”としました。90年代のパソコン通信全盛時代を、Pecanの視点から振り返ります。実は昨日書きかけたんですが、例によって、操作ミスで吹っ飛んでしまって(<全く学習能力を欠いてますねw)。今後は下書き保存しながら書くことにします。

Pecanが最初にパソコン通信にかかわったのは、91年の秋頃だったと思います。まだ、PC-9800LX4という持ち運び可能ポータブルパソコンを所有していた時代。ちなみに、これは89年に約56万円という、Pecanの給料3ヶ月分をつぎ込んで買ったもの。当時はこれくらいの価格が当たり前でしたが、今から考えれば、NECがボロ儲けしてたんとちゃいますかね? これにつなぐモデム(2400bps)を買ってきたのが始まりです。

モデムに同梱されていた申込書を使って、PC-VANとNifty-serveにIDをとりました。大手以外にも地元のBBS(草の根などと呼ばれていました)にも加入して、チャットしたりOFF会にも行ったりしました。

通信ソフトは、一世を風靡したWTERM。非常に優秀なフリーソフトでPC-VANやNifty用にオートパイロットのマクロがいくつも公開されていて、ずいぶんとお世話になりました。オートパイロットとは、なるべく電話代を安くするため、自動で接続して必要なフォーラム等を回って、会議室の発言をダウンロードしたりアップロードしたり、ソフトをダウンロードしたりして、巡回終了後、直ちに電話を切断するものです。そうそう、電話代のことを“みかか代”などとも言いましたね。疑問に思われた方はググって見て下さい。

当時は、アクセスポイントが各県にあまりなかったので、地方に住んでいると、すぐに話中になってしまい、なかなかかかりづらいものでした。そこで、アクセスが少なく空いている夜中にソフトを自動起動してオートパイロットのスクリプトにしたがって自動的に処理し、朝、発言内容やダウンロードしたソフトを確認するというのが基本的な流れでした。そのうちに、NTTのテレホーダイというサービスが始まって、夜11時から朝7時まで(だっけ、もう忘れたしw)が定額料金になったので、このテレホタイムの開始直後に接続して朝までずっと回線を独占するという極悪なこともかなりやりました。一度切るとつながらなくなるし。覚えのある方も結構いらっしゃるのでは(笑)。

MS-DOS時代に数年間お世話になったWTERMですが、95年にDOS/V機でWindowsになってからはNifty専用の通信ソフトNiftermに乗り換えました。これはオートパイロット自体が機能として組み込まれていて、ほとんど自動で何でもできました。説明書には“シェアウェアの料金の支払いだけは手動でやって下さい”などと書かれていた記憶があります。年間900円のシェアウェアでしたが、あれだけたくさんお世話になれば、十分元は取れたと思います。

最後に余談ですが、私がパソコン通信を始めた当時のNiftyは、会員情報というところで、相手のIDを入力すれば、会員情報(名前と居住地)が自由に閲覧できる時代で、名前からIDを検索することさえ可能でした。公開・非公開は設定できたような気もしますが、当時は電話帳に名前を載せないなんて考えもしない時代でしたから、かなりの人が公開にしていました。Pecanも知り合いの名前を検索しては、“失礼ですが、△△におられた○○さんですか”などとメールした記憶があります。今でこそ、不審メールとして処分されてしまうでしょうが、当時は結構返事があり、知り合いを数人捜し当てた記憶が(笑)。

PC懐古録(その2)

さて、お待ちかね<誰が? のPC懐古録(その2)です。

NECのPC98については、Windows95がリリースされたのを機に見切りをつけ、DOS/V機に乗り換えました。DOS/Vの初号機は、当時DOS/V誌で最高得点を叩き出していたショップブランド機 JCS Vintage133(Pentium133MHz)。モニタやら一式全て入れ替えたので、40万円近くかかりました。よく奥さんが許してくれたものです。仕事では、なかなかNECのPC98シリーズとの縁が切れず、Epsonの互換機(名前ももう忘れた、確かPC-486だっけ)をしばらく使いました。何かPentiumのCPUアクレセラレータを積んでいたような記憶がかすかにある…。

その後は、数年ごとに筐体やパーツを入れ替えて、現在は四代目のマザーボード(GigabyteのIntel 845G + Celeron1.7GHz )になります。98年に改造した二号機でマザーをATからATXに変更し、筐体・キーボードもほとんど入れ替えてしまいましたので、初号機からの現役の部品は、TekramのDC-390というSCSIボードだけ。現在、ビデオもオンボードですが、主にネット接続とMicrosoftのOffice関係がメインの用途の私としては、特にストレスを感じないので、これでよしとしています。

初号機の筐体(AT用)は、ジャンクのATマザーを使い、息子用のPC(K6-2 300MHz)として最近まで現役で動いていました。さすがに昨年HDD(Maxtor8G)が飛びました…。

95年に初号機を買ったときに、インターネットに初めて接続しました。28.8kbpsのモデムで、地元でサービスを開始したばかりのプロバイダに加入しました。初めてYahooのホームページが表示されたときの感激は忘れられません。それまでは2400bpsでパソコン通信(別の懐古録で触れます)をやっていたので、遅いのになれていましたから、リアルタイムで画像を表示されるのは夢のようでした。その後、デジタル回線にして64kbps(2回線で128kbps)での接続も相当長く続きました。

ブロードバンドは最大手のプロバイダがADSLのサービスを開始したのに合わせて申し込み、つながるまで約半年待ちました。2002年頃だったでしょうか。今では、10MbpsのADSLに有線のブロードバンドルータにメルコの無線LANユニットを噛ませて使っています。今なら無線LANユニット自体がブロードバンドルータになっているのが普通なのでしょうが、最初に無線LANを入れたときにはブロードバンド自体が存在していなかったので、つぎはぎになりました。電話局から比較的近いせいか、だいたい常時5Mbps出ており、現在の使用状況では特にストレスはありません。今のところ、光にする必然性も感じてませんので、ADSLが廃れるまではこのまま行くと予想しています。

ところで、2週間くらい前に久しぶりに部品の入れ替えをやりました。DVD-ROM専用のドライブを書き込み可能なドライブ(LG電子 GSA-4167B)に変更したのです。このドライブはDVD±R、±RWはもちろん、RAMや片面二層(±R DL)に対応しているということなので、店頭で見かけて何も考えずに衝動買い購入。PanasonicのDVDレコーダーを持っている身としては、DVD-RAMが読めるのはありがたいことです。といって、RAMは高いんであまり使ってないのも事実ですが…。

買って帰ってから、ネット上で色々な情報を見ていてわかったのですが、この機種は日立LG電子という会社(合弁?)が開発したものをLG電子の方で作っているようですね。日立自身も作っているのか? 何だかよくわからないけど、ま、6000円台で昔の水準から考えるとめちゃくちゃ安い買い物だったなという印象です。ただ、PC部品を作っているメーカーの立場で考えてみるとこの価格下落は大変ですね。

初期不良がないか心配だったのですが、一杯になりつつあったHDD(80GB+30GB)のうち、10G程度DVD-Rに移動しました。あと、以前ピアノ教室で作ってくれたコンサートのDVD-ROM2枚組を圧縮して1枚に焼いてみました。特に異常なくほっとしました。安かろう悪かろうだった韓国製品のイメージも今は昔になりつつあるのかもしれません。

あれっ、懐古録じゃなくて最近の話になってるぞ。というわけで、この辺で終わります。性懲りもなく、次回は古き良き90年代のパソコン通信時代を懐古します。

PC懐古録(その1)

今日は懐古趣味に走って、PecanとPCとの関わりについて記憶をたどってみたいと思います。

Pecanがコンピュータなるものと初めてかかわりを持ったのは、かなり昔です。そのまえに背景について少し触れておきましょう。

小学生の時は理系少年で、小学校中学年の時に買ってもらった電子ブロックでエレクトロニクスにはまりました。で、当時名古屋の近くに住んでましたので、大須の電気店街に出かけては、部品を集めて、単球ラジオ、レフレックスラジオ、スーパーヘテロダインラジオ等を作りました。AC100Vに触れて感電したことは数知れず。愛読誌は「子供の科学」から始まり、「ラジオの製作」(通称ラ製)、「初歩のラジオ」(通称初ラ)。だいたいは雑誌に載っていた実体配線図を見ながら作っていました。さすがに、回路図から実体配線を起こすのは子供には難しい。「子供の科学」以外は廃刊になってしまったようで残念です。

小学校6年の時にアマチュア無線の電話級をとりました。コールサインはJE2***(一応匿名にしとく(笑))。6m(50MHz帯)でデビューしたもののこれはあまり面白くなくて長続きしなかった。よく覚えているのは、自分のコールサインを相手のコールサインよりも先に言ったか何かで相手の大人にマナーがなってないと怒られたこと。その他、リグ(無線機の業界用語;TRIO製でした)のニッカドのバッテリーの調子が悪くてすぐに切れてしまうなど、あまりよい思い出がありません。

さて、ここからコンピュータとの関わりについての話になります。

中学に入ってからは、しばらくエレクトロニクスの世界から離れていましたが、中三のときに、併設の高校の学園祭を覗いてビックリしました。人間がコンピュータとオセロを対戦している! これは自分にとって極めて衝撃的なことでした。当時、NECがTK-80というマイコンを出したことまでは知っていましたが、中学生の小遣いで買えるような金額ではない(9万くらい)ので、あまり興味はありませんでした。ラ製などの雑誌に載っている画面でも、今でいえばPCIボード程度の大きさの回路基板に電卓のような16進キーと表示管が搭載されているだけ。プログラムも表示管を思いのままに点灯させるなどという愚にも付かない(当時のPecanの感覚)ものばかり。

それがどうでしょうか。この学園祭の高校生はTK-80ではない別のワンボードマイコン(今から思えば多分Lkit-16)を駆使して、グリーンモニタ上にオセロゲームを表示していました。ただ、表示させるだけではなく、人間と対戦しているという事実、あのおもちゃみたいな機械が「考えている」という事実にもの凄く興奮しました。まさかこれほどのことができるとは…。

そして、対戦が終わったときに、おもむろにフラットケーブルでつながれたジャンクのようなキーボードで画面のわけのわからない表示(アセンブラだったか、Tiny-Basicだったか?)で命令を書き換え始めたのです。なんて格好いいんだと、うっとりしました(笑)。今から思えば、オタクに惚れたようなものでしょうか。

その日から愛読誌は、「マイコン」「I/O」「RAM」の三誌に変更。ただ、コンピュータは今のように必需品ではなく、単なる道楽のようなものですから、すねかじりの身ではとても親に買って欲しいと言うこともできません。高校に進んでからももっぱらプログラムを考えるのは机上で。プログラムの検証のため、学校の帰りに大須に寄っては、NECのBit-INNでTK-80BS、別の電気店(カトー無線)のデモ機の日立のベーシックマスターL2を閉店までいじっていました。大学へ進学するモチベーションは、自分のコンピュータを手に入れるということがほぼ全て。Pecanの親父さんもその辺をうまく見抜いていたようで、大学に入ったら好きなコンピュータを買ってやると暗黙の了解ができておりました。受験勉強後、大学に合格し、当時最新(でもないけど)のNECのPC-8001を買ってもらいました。

その後は省略しますが、実際に自分が所有していたPCは、

PC-8001 → PC-8801(無印) → ここで約7年ブランク → PC-9801LX4 → PC-9801ES2

と続きます(95年夏まで)。大学に入ってからは、他にいろいろとやることが見つかりましたので、高校時代に考えていたほど、コンピュータに熱中したわけではありません。もし熱中していたら…。きっと、ITの世界で有名人となっていたかも(笑)

なお、ブランク時もクラブ活動などでかなりPCを使いましたし、研究室では、それまで手書きがあたりまえだった卒論をワープロ(一太郎ver2)で書いた第一号になりました。社会人になってからも、研究者の頃は測定器を制御するプログラム(DOSの時代はN88-BASICかTurbo-C、WindowsになってからはVisual Basic)を組んだりしていました。最近ではExcelやWordの作業が多いので、VBAでマクロを組んだりすることも多いです。先日、意見書を自動化するなどとほざきましたが、あながち夢物語ではないと思っています。

ここまで読まれた方はいないかも知れませんが、もしいるとすれば、おつきあいいただきありがとうございました。PC懐古録(その2)では、DOS/V以降の関わりを懐古します(そんな言葉ないって?)

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