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2005年11月

[書籍]初めてリーダーとなる人のコーチング (副題:チームの力を引き出し、個人を活かす23章)

初めてリーダーとなる人のコーチング -チームの力を引き出し、個人を活かす23章

4822243249ローファームなど、メンバーの大半がプロフェッショナルであるケースにおけるコーチングの本です。プロフェッショナルな集団の場合、コーチ自身がプレイングマネージャを兼ねているケースがほとんどですので、ついついクライアントを重視するあまり、コーチングに割く時間を削ってしまいます。会社の組織の中では、知財や法務の部門が該当すると思います。

以下の式が印象に残りました。

よくコーチされた集団のOutput >> コーチされていない集団のOutput + コーチ1人分のOutput

要するにコーチ一人のアウトプットなんて知れたもの。きちんとコーチングすることによって集団のベクトルを合わせれば、大きな力を発揮するということなのでしょう。心に留めておきたいと思います。

3週間ぶりの検診

また、ココログが重くて投稿しようと書きためたものが消えてしまいました。文章を修正するため、DELキーかBSキーを押したときに、なぜか前画面に戻ってしまったのが原因です。もういやになりますね。ココログフリーとかいう無料版をはじめたはいいのですが、有料版に影響が非常に出ています。無料版に移行するか本気で別のサイトに移転を考えるときが来ていると感じました。

今日は3週間ぶりに検診でした。前回の検診では、直前に受けた会社の定期検診で尿酸値が高かった(8.3)ため、今回の検診でも高い場合には尿酸値を抑える薬を処方していただく予定でした。結果として、正常値(7.1)だったため、しばらく様子見です。また、レントゲンによる検査でも、心臓の大きさに変化がなく問題はなさそうとのことで、今日の検診は異常なしでした。

なお、インフルエンザの予防接種について聞いてみたところ、ぜひ受けた方がよい、とのことでした。薬の飲み合わせについても特に問題となるものはないようです。血圧の薬(カルシウム拮抗)をグレープフルーツジュースと一緒に飲まないようにすること、ニトロダーム(ニトログリセリンの貼付テープ)とバイアグラを併用しないようにすること、などの注意点はありますが…。

気になっていた身障者手帳の件について、おそるおそる尋ねたところ、役所から問い合わせがあり、足りない書類を補充しているということです。足りない書類? ということは門前払いではなかったのか? 先生が話した感触でも特に悪くはなかったとのことで、あまり期待しすぎないように注意して待つことにします。

西郷隆盛は征韓論者ではないという説

以前書いた文書を投稿します。これまでとは全く毛色の違う内容ですが…。

西郷隆盛が「征韓論者」であったという通説がありますが、私はこれには反対の考えを持っています。自分個人の考えというよりは、10年ほど前に読んだ本から大きな影響を受けてのことですが…。

「明治六年政変」(毛利敏彦著)中公新書561

この本は信頼のおける史料を丹念に追うことによって、通説(西郷らは征韓論に破れ下野した)の誤りを明らかにするとともに、明治六年政変の真相を明快に解き明かしており、読みながら幾度となくわくわくしました。

さて、西郷が征韓論者であるという説ですが、これは例えば、板垣退助宛の書簡に「それよりは公然と使節を差し向けられ候わば、暴殺は致すべき儀と相察せられ候に付、何卒私を御遣わし下され候処、伏して願い奉り候。副島君の如き立派の使節はでき申さず候えども、死する位の事は相調い申すべきかと・・」とあることから、”朝鮮側に使節を派遣すれば、朝鮮側が使節を暴殺して開戦の名義が生まれるはずだ”という議論を行っていることが最大の論拠でした。

しかしながら、これに対して、著者は次のような意見を述べています。「西郷は、1873年10月15日付で太政大臣三条実美にあてた「始末書」において、〈公然と使節差し立てらるる〉のが至当であり、あらかじめ戦争準備をして使節を派遣するのは〈礼を失せられ候〉、そうでなくて誠心誠意の交渉によって〈是非交誼を厚く成され候御趣意貫徹いたし候様これありたく〉と明言している。この西郷の提案は閣議で満場一致で承認され、彼は志望どおり朝鮮派遣使節に任命されることが決まった。もし、西郷がそのまま朝鮮国に赴いたならば、日朝間の国交は円満にまとまり、その後のアジアの平和に大きく寄与したであろうことは疑いない」

このように板垣書簡の内容には矛盾があるわけですが、著者によれば、これは西郷の真意ではなく、閣議で強硬な征韓論的傾向を帯びた発言を繰り返していた板垣の支援を得るために、西郷が使ったテクニックであったという意見です。「西郷は公式には一貫して『朝鮮に非武装の使節として赴き胸襟を開いて交渉に当たる』と表明しており、朝鮮出兵を主張したことは一度もない。板垣は当時、閣内において強硬に武力解決を主張しており、問題の手紙の内容はよく読めば、『まず私を朝鮮に行かせて欲しい。万一決裂すれば、後はあなたの自由にしなさい』という意味である。西郷は板垣と特に親しかった訳ではなく、彼一人に秘めた真意を明かす関係にはない。西郷は硬直した朝鮮問題を解決するために積極的に任に当たろうとしたが、留守政府に反感を持っていた岩倉、大久保、木戸、伊藤が使節派遣を口実に陰険な留守政府打倒を策謀し、失望した西郷は辞職した」

なお、この当たりの詳細な内容は、上記の本を読んでいただくのがよいかと思います。史実を元に実際に起きたであろう内容が再現されています。伊藤博文の暗躍ぶりが目を引きます。この明治六年政変によって、一番得をしたのは、長州の汚職閥であった(汚職を厳しく追及していた江藤新平も同時に下野したので)ということになります。

ところで、NHKの番組「その時歴史は動いた」(第15回「西郷隆盛、明治に挑む〜西南戦争勃発の時」平成12年7月12日(水)放送)でも、この毛利教授の学説にしたがった内容となっており、西郷は征韓論者でなかったという内容になっています。番組のサイトより解説した部分を拾ってみます。

所謂「征韓論」について
従来、西郷隆盛の下野(明治6年の政変)については、「西郷は不平士族の不満をそらすため朝鮮半島への出兵を主張したが内治派の大久保利通らによって妨げられ下野した」とされてきましたが、現広島市立大学教授毛利敏彦氏が「明治6年政変の研究」を始めとした一連の学説・研究でこの見方に根底的な疑問を呈してきました。(明治6年の政変は、岩倉具視、木戸孝允ら外遊派の閣僚が土佐・肥後派を追い落とすために仕組んだクーデターであり、征韓論という外交問題を巡って政府が分裂した事件ではない。又西郷は公式の場で一度も朝鮮出兵を主張しておらず、むしろ征韓論を主張した板垣退助らに反対し、平和的な使節を送る事を主張した。)従来の説と毛利氏の説の間に正誤の決着がついたわけではありませんが、毛利氏の説は学会で一定の支持を得ているとの認識から、今回の番組では毛利氏の学説をふまえた内容としました。(つまり西郷イコール征韓論者とはしませんでした。)詳しくは、中公文庫「明治6年の政変」「台湾出兵」(共に毛利敏彦氏著)を・・・。

11/25のお仕事

文章を書くことをメインの仕事にしておりますので、ブログを書くのは良い訓練になります。ただ、療養中でもありますので、心身の負担にならないよう、基本路線としては気楽に日記形式を中心に行こうと思います。

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今週は月曜、火曜と連続して外出したためか、水曜休日をはさむも疲れが抜けきれていない。木曜は夕方頃意識が朦朧。部下からクレームの相談を受けたことは覚えているが、技術の内容が頭に入らない。いい加減な対応となってしまい申し訳ないことをした。そこで木曜の夜は夜10時半に就寝して、本日は朝6時起床。気分爽快である。自分は療養中なのだということを強く意識。

今日は、代理人から届いた原稿案4件をチェック。うち3件は従来から使っていた第1の事務所(笑)である。この第1の事務所は、明細書の記載は丁寧だが長くて本質がわかりにくい。今回も3件のうち2件は元原稿が2倍にふくれあがっている。一つ一つの態様で用語を説明し直したりしているので、読むのにうんざりする。他の箇所からそのままコピペしたことを物語る誤字や脱字もある。長い明細書で誤字脱字が多いのは勘弁願いたい。既にツーカー関係であり、面倒な説明をしなくても、発明を理解してくれるので、重宝しているのだが…。IPDLを見ると、他の出願人の場合も同様に長い。この第1の事務所の明細書作成方針かなあ。

残り1件は、今回トライアルで依頼した、前記第1の事務所とは異なる第2の事務所(笑)である。最初にクレームを見たときに唸る。これはいい。無駄な記載がなく、文章も簡潔で引き締まっている。依頼したクレーム案から数カ所訂正されているのは、概念の矛盾を発見してくれたもの。明細書の本文もいい。発明の本質を知財部員以上に理解している、というか。私が発明者からインタビューして考えていたレベルを、先行技術との比較によりさらに深く掘り下げて、差別化できる記載を明細書にちりばめてある。これがプロの仕事。姉歯君に爪の垢を煎じて飲ませたい。思わず、第2の事務所のサイトにアクセスして担当弁理士のプロフィールを確認。問題は、この第2の事務所の他の担当者のレベルがどうか、ということである。これまで担当者による品質のバラツキにはずっと悩まされてきたので、注意すべきポイントだと思う。

帰る前に1時間ほど部下と昨日のクレームの続きについて相談。自分でも驚いたが、昨日かなりいい加減な指示をしていた。基本的には間違っていないが、構成要素の要不要について、検討が甘い。やはり意識が朦朧としていたため、判断を誤ったようだ。今日は意識が冴えており、昨日あれほど難解に思えた発明が容易に理解できる。このクレームドラフトも概念の仕分けが鍵。昨日のエントリー(ボランティア活動?)で、他部署の人にはきちんと教えておきながら、自部署をおろそかにしていたのに気づき反省。

ボランティア活動?

本日は休みでのんびり過ごしていましたが、夕方になって他部署の知財部員からのクレームの相談がメールで入りました。彼女は今から十数年前にPecanと同じ研究所で技術者として仕事をしていた研究者仲間です。以前は、私をPCオタクと誤解していたため(笑)PC周りに関する質問がよく来ていたのですが、今回初めて知財関係の相談がきました。それにはわけがあり、先日のクレームドラフトの外部研修会の内容を、簡単にまとめて、社内の若手知財部員の勉強会のメンバー宛に送信しておいたのが発端です。彼女は、遠方(飛行機で2時間くらい)におり、育児や主婦業を両立させながら、仕事をしているため、そういった勉強会には出席できません。しかし、非常に向上心があり見習うべき点が多いと感じています。今回も彼女の熱意に触発され、休日の午後を2時間くらい費やして検討しました。

他の企業ではどうかわかりませんが、Pecanの周りを見る限りでは、クレームドラフトは個人の暗黙知に属する部分であり、どのように書くか自分の言葉で的確に指導できる人が少ないように思われます。彼女の場合も、先輩部員について見よう見まねで身につけたもののようです。最初に付いた人が、いきなり書き流しでクレームドラフトしてしまう流儀だったのか、今回彼女が作ったクレームも概念の仕分けが不十分で、各構成要素間の関係が整理されていないように思われました。このあたりが不完全だと、発明の本質に迫れず、不要な限定をしてしまう恐れがありますし、米国出願の時の翻訳で誤訳が生じやすいという問題もあります。そこで、発明の内容を理解してPowerPointで概念を整理した図を作り、これをそのままクレームドラフトするように申し添えて返信しました。

その後、見違えるように概念が整理されて書き直されたクレームとお礼のメールが届きました。自分の部署を放っておいて他部署を見ている余裕があるというわけではありません。しかし、全社的に見ればプラスになっていることですし、人に教えることによって自分のスキルアップにもなりますので、今後もこのようなボランティア活動は続けていこうと思っています。

事務所から企業への人の流れ

一昔前までは、企業から特許事務所に行く場合、一方通行という感じがありましたが、最近、知財業界に人の流入が増えているためでしょうか、双方向で流れが生じているように思われます。例えば、大学や大学院を卒業後、最初に特許事務所に特許技術者として何年間か勤務した後、企業の知財部に転職するというパターンを頻繁に見かけるようになりました。以前、同級生にあったという記事を書きましたが、彼もそのパターンです。

事務所から企業の知財を志す動機としては、権利化の業務に飽きたらず、知財の運用にもトータルに携わりたいというものが多いように聞いています。ただ、もう少しうがった見方をするならば、給与水準が一般企業に比べて低い場合がある(出来高でない場合?)、弁理士になることをあきらめた(もしくはなるつもりがない)人にとって、弁理士の資格を有する未経験の方がたくさん採用されつつある現在の事務所は必ずしも居心地が良くない場合がある、などの背景もあるかと思います。

企業知財において、事務所出身者を採用する理由は、即戦力として以外にありません。これは、知財の分野に限ったことではなく、企業が正社員の採用をする際に、教育訓練費を抑制するため新卒採用を控えて即戦力の中途採用を増やすのは、ここ数年の一般的な流れであると思います。なお、企業内の新人教育が不要と言っているわけではありませんが、ここでは触れません。

これまで日陰の部門で人材も不足していた知財に対して、次々と難題が降りかかってくる時代です。知財報告書をまとめる、M&Aで買収した会社が抱えていた特許問題をすべて引き継ぐ…(全部架空の例で、Pecanの会社とは関係ないです(笑))。従来の如く、新卒採用、開発から知財に異動、他社の知財部からの転職、というパターンではまかないきれません。優秀な人材は転職市場では奪い合いで、入ってくれる保証はない。かといって、新卒や異動者の教育には、出願系業務を一通りこなせるようになるだけでも少なく見積もっても2年半から3年。間に合わない。

そこへタイミング良く、発明の本質を掴む発明把握能力、明細書作成や中間処理のスキルに長けた事務所の人材が転職市場に流入してきた。基本的に、法務や知財の場合、企業が変わっても、扱う内容が変わるだけで仕事の内容は極めて類似点が多いと思います。事務所と企業であっても対特許庁の出願系業務は共通。したがって、高いスキルを持つ人は、入ったその日から即戦力として活躍することができ、(現時点では)どこに行っても食うに困らないと思えます。

このように企業と事務所(の転職者)の需要と供給がうまく合致して、この事務所から企業への人の流れを生み出しているのでしょう。

なお、企業の知財部の仕事は、権利化だけではなく、それ以外に他社との知財バランスを見ながら集中的に権利化していくポイントを決める、他社が侵害している証拠を掴んでライセンス交渉する、自社の製品が他社の権利に抵触していないか判断する、など多岐にわたります。ただ、基本は「自社事業(製品)を保護する広く強い権利を取ること」に尽きると考えます。強い権利なくして、他社との交渉で優位を保つことはできませんし、無効理由を含む特許をいくらたくさん集めても強い知財ポートフォリオにはなり得ません。したがって、事務所で培った能力(強く広く特許を権利化する)は、企業における幅広い知財活動の全ての局面で大いに役立つように思われます。

企業の開発部→事務所→企業知財という経歴の同僚もいますが、事務所への仕事の依頼もツボを押さえて的確だし、明細書を書かせても早くてポイントを押さえている。企業の開発者の立場、企業の知財の立場、事務所の特許技術者の立場をすべて経験しているので、相手の視点にたった仕事ができているように思われます。穏和な人なので交渉には向いていないかも知れませんが…。

久々に爆笑です

リンク: 法務だけど理系女子の綴るblog: 不当表示寿司屋

隣の客の「ウニ」に爆笑。「オレも」のセリフがツボにはまりました。

最初は店頭見本通りでないのは不当表示であるとする法務女子軍団と店の息詰まる対決。「(店頭見本にある)シャコがない」「(店頭見本にある)イクラがない」という法務女子軍団の正当な権原に基づく主張に対し、不当表示寿司屋の店員はなすすべもなく、店頭見本のネタを提供。

その息詰まる対決は、「おい、オレもウニがないんだけど」で突如乱入してきた隣客により、あっけなくかき消されてしまう。隣客は法務女子軍団と店との攻防において双方の暗黙の了解事項であった「(店頭見本にある)」を完全に無視して(というか、全く理解していないことが「オレも」のセリフから一目瞭然w)、店頭見本にない「ウニ」を当然の権利のように所望。

この隣客の主張は、法務女子軍団の場合と異なり、何の権原もないため、不当表示寿司屋は断ろうと思えば断れるはずなのだが、ウニを提供してしまう。隣客の得意顔が目に浮かぶようです。この寿司屋のだらしなさは、法務女子軍団との最初の戦いで妥協を重ねたため、不当な要求に対して毅然とした態度を取る閾値(threshold)が極めて低くなってしまったことに起因すると推測されます。もし隣客ががそこまで読んで「オレも」と言ったのであればこれは凄い。

次回、寿司屋に行ったときは、是非いきなり「ウニがない」で、寿司屋の反応を見ていただきたいですね。(笑)

特許出願、日米欧で一本化提案

リンク: 特許出願、日米欧で一本化提案…2―3年後導入目指す : 経済ニュース : 経済・マネー : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

特許庁は、日米欧のいずれかで特許を出願すれば、ほかの国でも出願したと見なす新たな制度の導入を米国と欧州の特許庁に提案した。出願者と審査担当者の手間と費用が削減でき、世界の特許出願の約8割を占める日米欧で2~3年後の導入をめざす。
(中略)
新制度は、出願した国で特許審査を行っておけば、翻訳した書類を出すだけでほかの国でも審査手続きにスムーズに入ることができる。

こんな記事が出ています。制度の詳細がわからないので何ともコメントのしようがありませんが、パリルートによる出願が不要になるということなのでしょうか。ただ、PCTとのすみ分けはどうなるんでしょうね。また、「翻訳した書類を出すだけで」とありますが、第1国の出願後、翻訳書類の提出まで、どのくらいの猶予があるのか…。アメリカはこの提案を素直に呑めるのか…。

色々と疑問は尽きませんが、導入されることが正式に決まってから考えることにします。

米国特許についての私見

今日は、先日コメントで質問をいただいたUSパテントの件について。

先行技術と似た構成で、かつUSにも出願されている特許について、注意等(ノウハウなら無理ですけど)もまた、記事にしていただけたら、うれしいです。

以下の内容は個人的な私見であることを予めお断りしておきます。

米国の方が日本に比べて通りやすいという印象があります。私が対応している案件でも、米国ではどんどん成立しているのに、日本ではすんなり通ることはなかなかありません。これは、日本では、特許法の第29条第2項の進歩性による拒絶理由が大半なのに対して、米国ではたいていの場合、米国特許法の102条、すなわち新規性があれば通ってしまうことが多いことに起因するのではないかと感じています。米国特許庁のOA(オフィスアクション)も、102条(新規性)に関するものが多く、日本の進歩性に相当する103条(非自明性)は少なめです。

米国のローファームにしばらく滞在していた知り合いから聞いた話では、法律で有色人種等の高い教育を受けられない人々を審査官として採用しなければならない事情がある、とか、審査官を特許弁護士へのキャリアパスと考えている人が多く、人がどんどん辞めるため審査官が育たない、などの理由から、審査官のレベルは日本や欧州に比べてかなり低いのだとか…。

いずれにしても、日本では進歩性違反のため成立しないような特許でも、米国では成立してしまうことが多いです。しかし、一度成立してしまえば、つぶすのは容易ではない。特に、進歩性については、日本でも裁判に行けば判断が分かれます。米国で日本の審査において進歩性の判断で引用された文献を利用して再審査請求を行なったとしても、特許が無効となる可能性は高くないと考えられます。

また、米国はご存じの通り、何かと言えば裁判のお国柄です。審査が甘くて無効理由を含んだ特許が成立したとしても、裁判で解決すれば良いという考えが根底にあるのかもしれません。しかし、米国における侵害訴訟の裁判はたやすいものではありません。弁護士の費用が高いのに加えて、ディスカバリー手続きがあります。、被告の会社は相手の弁護士の立ち会いのもと、知財・営業・製造の全分野において、相手が必要と認める証拠書類等を全て開示しなければなりません。非常に大規模なものとなり、数億円の費用がかかるケースもざらにあると言われています。さらに、ディスカバリーで故意であったという証拠が見つかれば、三倍賠償制度が適用され、ヘタをすれば会社が傾くほどの極めて巨額の賠償金が必要となります。

このように米国において特許訴訟に持ち込まれたら、非常に大きな問題です。したがって、多少相手の特許に無効理由があると思っても、米国における訴訟の費用リスクを考えると、示談ですませてしまうケースも多々あると思われます。もちろん、示談交渉では、ライセンス料を値切るため、“無効理由があるからホントは払う必要はないと思うんだけど、裁判で決着をつけるのは時間と費用が惜しいから払ってやるんだぞ”、とか色々言って相手の特許にケチをつけるんでしょうけどね。

以前の記事で、“日本では特許になりそうもないが米国に出願されているので色んな意味で要注意”と書いたことがありますが、これは以上のような理由に寄ります。

11/17の日記

今日も日記風に。

昨晩は疲れて全く目を開けていられない状態だったので、着の身着のままに近い状態で10時半に就寝。爆睡。目覚ましもセットし忘れ朝7時過ぎに妻に起こされる。仕事に行くのがいつもより20分ほど遅れる。

午前中は来週特許庁に提出予定の審判請求の理由補充。本件は出願担当者、最初の拒絶理由対応者、最後の拒絶理由対応者が全部別人。で、今回私が審判請求に対応するから全部で4人がかかわることになる。最後の拒絶理由対応時に請求項の発明特定事項を限定的減縮したが、独立特許要件を満たさずに補正却下となっている。よくあるパターンだけど、補正をどうするかはいつも悩む。全く別の補正にするか、それとも却下になった補正でもう一度がんばるか。どうせ審判にいくからには、あまり狭くしてもしょうがないと思う。ただ、通らなくては仕方がない。このバランスが難しい。今回は却下になった補正に加えて、比較的当たり前だが、引例に書かれていない構成を加えて減縮することにした。

午後一番は外国から警告のFAXがきたとかで、開発担当者が青い顔をして持ち込んできた案件に対応。よく見ると、USで特許を取得したので、ライセンスする準備があるといった単なる売込み。とりあえず今回は放置しておけばいいだろうと判断。

午後残り時間で審判請求の理由補充を完成させた。前回の最後の拒絶理由の担当者の意見書の文面をかなり借用したので、サクサクと進む。文章をかなり剽窃したので著作権違反を問われたらどうしよう。いや、職務著作だから大丈夫か(詳しくないのであまり突っ込まないでね)。完成後、発明者に案文をメール。その後は、定時まで1時間くらい事務所に依頼する出願案件の依頼書を作成。

こうやって書いてみると、ほとんどPCに向かって作業しているばかりだなあ。傍で見ていると盛り上がりに欠けて面白くないでしょうね。

FI・Fタームによる特許調査

リンク: 雑記帳~知財検定対策ノート~ | 特許庁の技術動向調査.

私は、このIPCやFIターム、全然理解できないんですよね、悲しいことに。
おまけに、改定や追加がいっぱいあるみたいで、ほんとにわかりません。
これが理解できると、注目した技術特許の特許庁による解釈(どの分野の技術にしているかや、その技術に対する位置づけ評価)がわかるかな、と思うんですが。

日本の特許を調査するときに、必要な情報を短時間で入手するという観点で言えば、最も使い勝手のよい検索は、FIとFタームだと思います。出願を受け付けたときに特許庁の関係団体の(財)工業所有権協力センターで、特許分類(IPC、FI)とFタームが付与されます。IPCはいったん付与されたら不変ですが(今度IPC8版になりますが、新しく付け直すことはないと思う)、FIとFタームは適宜更新されます。

特許庁のIPDL検索において、「公報テキスト検索」でFIで検索できますが、ここで検索されるデータは公開時のままで、公開公報に書かれている以上の情報はありません。しかしながら、「FI・Fターム検索」では、登録されているFI・Fタームの情報は、適宜新しいデータに更新されています。常に付与の作業が進められていますので、テーマによっては、昭和の時代の公報にも遡ってFIやFタームが付与されているものがあります。したがって、FI・Fターム検索を有効に活用すれば広い時期にわたって的確な検索を行なうことができると言えます。

なお、FIもFタームも特許庁における審査が基準になっています。FIはIPCのかなり古い版が基本になっているので、一件類似していますが、現在のIPCと異なっている場合もあります。IPCでは分類が大まかすぎたのを、審査官が自分たちの審査に役立てるためにさらに細かく分類したのがFIの起源ですので、IPCに比べると実際の技術を的確に捉えていると言えます。また、FタームはFIをもとに各テーマ毎に具体的な構造や目的、機能などを絞って検索できるように配慮されていますので、構造や機能といった通常のキーワード検索では捉えきれず、捉えたとしてもノイズ(不要な情報)が多くて使いづらい部分を補完することができます。

なお、FI,Fタームは付与されていない公報もありますので、漏れの少ない検索をしたい場合には向きません。ピンポイントで狙った公報を発見する、例えば、無効資料を探すとき等に極めて効果的です。

例えば、「レーザ加工において反射光で制御する制御手段」に関するFタームはテーマコード(レーザ加工)が4E068、レーザ加工の制御手段に関する観点がCB、制御手段のうち反射光によるものが09となりますので、Fタームはこれらをつなぎ合わせた4E068CB09ということになります。試しに期間を限定せずにFI・Fターム検索でこのFタームを調べると、928件ヒットしました(うち昭和公報287件)。

私が無効資料を調査する手法を簡単に紹介しましょう。まず対象特許にどのようなFタームが割り振られているか、特許庁のIPDLの経過情報-番号照会により調査します。次に、ピックアップしたFタームのテーマコードからFターム解説・Fタームリストを見て、無効性を調査したい箇所に絞り込みます。その後は、FI・Fターム検索を行ない、対象特許よりも古い公開日を有する公報を調査すればよいということになります。

なお、FI・Fタームのかなり詳細なマニュアルが、平成15年の特許庁主催の実務者向け教育資料にありましたが、現在は削除されてしまったようで見当たりません。そこで、Wayback Machineというサイトで昔のサイト情報を探したところ、みつかりました。以下にリンクしておきます。
IPDL IPC/FI・Fターム検索編

なお、この特許調査の分野のスペシャリストとしては、弁理士の鈴木利之氏が有名です。私もこの方が講師をされている研修を受けたことがあります。非常に参考になりました。

以上、記憶に基づいて書きましたので、思いこみや誤りがあるかと思います。その際はぜひともご指摘下さい。

11/12の出来事

今日は日記風に。

AMは近くの公民館で文化サークルの発表会。子供の同級生のお母さんが先生をしているフラワーアレンジメントサークルにうちの奥さんが行っており、作品を展示しているということで見に行く。雑談が主目的のサークル活動と思われ、作品にはあまり期待していなかったが、素人目にもなかなかの出来。カメラを忘れたので、明日もう一度撮りに来るように念押しされる(奥さんから)。

公民館の入り口の空き地では、なぜか豚汁を販売。畑を借りて大豆を栽培し、さらにこの大豆から作った味噌を使ったものらしい。そんなサークルがあること自体驚き。一杯ご馳走になるが非常においしい。他にも、詩吟やコーラスの発表会、写真サークルの展示。他にも太極拳なども。さすがに北斗神拳を教えるサークルはない。一子相伝だし、素人が使うと危険だからだな、と一人納得。

PMは長男を塾に送った後、さらに奥さんをパート先の珈琲屋に送ってからしばらく仕事。昨日は月曜に特許庁期限の中間処理を優先して、代理人への依頼文書作成ができなかったため。発明自体はかなり面白いものだが、まだ一回試作した程度で実施例が不足。実施例は代理人に作ってもらうか(爆)。子供達がバタバタ走り回ってあまりはかどらない。なぜかどんぐりをPCの横に置いて走り去っていった。

仕事が一段落した後、テレビをつけると、アジア野球の試合。ロッテが苦戦していてつい見入った。そのうち他の競技のように中国が常勝になってしまうんだろうか。野球やサッカーに関してはプロの維持もあるし、絶対負けたくないぞ。

夕方、パート先の珈琲屋に行って、アメリカンとプレインワッフルを賞味しつつ、文庫本(大沢在昌)を読む。図書館で借りてきた新宿鮫3作目。面白い。パート終了後、近くのスーパーで買物し、車で一緒に帰宅。途中で塾帰りの息子を迎えに立ち寄る。夕食は豚肉の入った水炊き。よく考えたら、昼も豚汁を食べてるし。心筋梗塞だがこんなに肉を食っても大丈夫か、と思いつつ、コレステロール値が正常だからよしと自分を納得させながら、できるだけ野菜を中心に賞味。

下の子供2人には寝る前に本の読み聞かせ。4歳の次男には「恐竜トリケラトプスと巨大ワニ」、7歳の長女には「デルトラクエスト」の第2巻を毎日一章ずつ。デルトラクエストは長男が自分で読むために買ったもの。前に読んだが、忘れてしまっているので、読み聞かせをしながら自分でもハマッていて楽しみながら読んでいる。そういえば、長男が小学生の低学年の頃は、ハリポタの読み聞かせをしたっけ。次男はトリケラトプスが戦う様子によほど強い印象を受けたのか、寝床で“ガオー”と叫んでなかなか寝つかず。これは長男のときと全く同じ反応。奥さんと一緒に当時を思い出して笑ってしまった。

といった感じの平凡な一日でした。

本日のお仕事

今日もココログが超重いので、メールで投稿です。

今日(昨日)は、AMは技術者と問題特許の内容検討、PMは新規出願案件について代理人への説明資料作成。

問題特許と言っても公開されたばかり。クレームが広いので技術者がビビッて持ち込んできたもの。Fタームで調べたところ、昭和・平成一桁の公報に同一構成のものを多数発見。ちゃんと審査をしてくれれば、このクレームのままでは登録されないと思います。いわゆるチャレンジクレームで、審査官の対応を見て、次の手を決めるつもりなのでしょう。実際の落としどころは従属クレームか明細書の中に隠してあるか…。ただ、明細書の中に同一構成の公報が先行技術文献で挙げてあるのが何とも不可解。チャレンジクレームといえども新規性はあって然るべきと思うのですが…。USに出願しているのは色んな意味で要注意。

新規案件は今月からしばらくトライアルで依頼する新しい事務所に対するもの。ようやくうちの料金基準でいけるところが見つかりました(笑)。電話で聞いたときは、何でもOKのような感じでしたが、IPDLで代理人の出願分野を調べたところ、今回依頼する分野については、まだ実績がないようです。92年公開分以前にやってたのだろうか。念を入れてかなり詳しい資料を作ったので、午後いっぱいつぶして1件しかできませんでした。明日は打ち合わせがないので、AM中に2件分作るぞ、と固く決意。

明日のPMからは、来週の中間案件の準備(拒絶理由×1、審判請求の理由補充×2)と、以前書いた無効資料調査(新しい資料×2を発見)について検討を開始しなければ…。しばらくは気が抜けそうにありません。ストレスをためないように注意が必要。

久々の検診結果

またココログが重くなってきたので、やむなくメールでモブログといきます。

一昨日、3週間ぶりの検診に行ってきました。職場の生活習慣病検診で尿酸値が高くなったことを説明しましたところ、やはり、服用している薬のうち、ラシックスの可能性が一番高いとのことでした。ただ、この薬は利尿剤でありやめるわけにはいかないということです。心臓のむくみを取るためには何らかの利尿剤が必要だそうで、いずれも同様の副作用をもたらすようです。

次回、尿酸値を測定して、まだ高かった場合には、尿酸値を下げる薬を処方していただけるとのこと。薬漬けで気が進まないのですが、仕方ないのでしょうか。

現在、やめられる薬があるかどうか聞いたところ、パナルジンを当面やめて様子を見ましょうとのこと。

その他、市役所から封書が届きました。身体障害者手帳について、診断書の内容を医師に確認するので発行予定日が遅れるとのこと。4級ぎりぎりのボーダーなのでしょう。市役所もしっかり審査をしているということですね。ま、認定されなかったら仕方ありませんが…。

知的財産検定2級の合格基準を推測

さて、一昨日は知的財産検定(知財検定)でしたね。2級では前回と同じ問題が出たとか、三和の問題集はあまり役に立たなかったという噂を伝え聞いていますが、いかがだったでしょうか。

Pecanは当初は、1級をうけるつもりでいたのですが、諸般の事情で今回は断念しました。今回、部署から受けた人もいますので、情報を得て、次回を目指して勉強を始めたいと思います。

ところで、Pecanのサイトには、知財検定関係で検索していらっしゃる方が相当数いるようです。そこで、時期を失した感がありますが、2級の試験の合格基準について、持っている情報を開示したいと思います。

2級は、特実・意商・著作権・民法他の4部門に分かれて採点されており、以下のようにクラス分けされて、合格発表時に合わせて通知されます。

 S:90以上
 A:70以上90未満
 B:50以上70未満
 C:50未満

なお、2級と準2級の境についても、かなりあいまいであり、検定要綱を見ますと、

  • 2級:総得点が基準値以上であり、かつ、「特許・実用新案」「意匠・商標」「著作権」「民法・その他」の4領域すべてにおいて正答率が基準値を満たしていること
  • 準2級:総得点が2級に準ずると認められる基準値以上であること

と定められ、"基準値は、検定委員会が2級に定義されるレベルに到達していると認めた得点値とし、非公開とする。"だそうです。裏を返せば、検定委員会の匙加減でどうにでもなるということです。問題を持ち帰らせないし、そのくせ問題の情報源として期待するセミナーはべらぼうに高いし…。セミナーで金儲けするために作られた試験ではないかと勘繰りたくなります。

話がそれましたので戻します。

前回(2005年6月実施)の2級の試験結果について、周囲の受験者に聞いたり、ネット等を回ったりして集めた33例(2級合格者22名,準2級合格者10名,不合格者1名)について以下に掲載します。別ソフトで作ったタグを貼ったのでうまく表示されないときはご容赦ください。なお、自己申告に基づくものですので、ウソは見抜けない、という点と、あくまでも「前回」の結果であって常に成り立つかどうかはわからない、という点については、あらかじめご承知置きください。

No.特実意商著作権民法他2級準2級不合格
1 S A A A  
2 S A A A  
3 S A S A  
4 S A A A  
5 S A S A  
6 S S A S  
7 S A S S  
8 S A S S  
9 S A A S  
10 S A A S  
11 S A S S  
12 A A S A  
13 A A S A  
14 A A A A  
15 A A S S  
16 A A A S  
17 A A A S  
18 A A A S  
19 S B A A  
20 A B S S  
21 A B S A  
22 A B B A  
23 A B B A  
24 A B A A  
25 A B B B  
26 A A A B  
27 B B B A  
28 B S S A  
29 A A C A  
30 A C B A  
31 A C B A  
32 A C A A  
33 B B B B    

この結果から、前回の試験において、2級に合格するための要件を帰納的に推測します。コメントもつけてあります。

  1. 4部門全てでA以上であれば2級合格(No.1~18)
     説明の必要はないと思います。
     
  2. 意商・著作権がBであっても2級合格者あり(No.19~22)
     トータルで2級の合格点に達していれば良いということでしょうか。ただし、3で示すように特実や民法にBがあるとダメのようです。
     
  3. 特実・民法他はBがあると2級合格者なし(No.25~28)
     2では意商・著作権がBであっても合格者がいたのと対照的な結果です。特実・民法他は、問題数が多くてトータル点数に影響したのか(よく覚えてません)、意図的に審査官が厳しく見ているのか? 特に、No.28は意商・著作権がいずれもS、民法他もAなのに、特実がBで準2級という気の毒な結果ですから、特実については重みをつけて傾斜配点されているのかも知れません。

    補足:その後、あるサイトで、AASBで2級合格されていることを知りました。民法他はBがあっても合格は可能だったようです。(当初このサイトにリンクを貼っていたんですが、よく見ると記事の実体がすでに削除されて存在しないようです。ご迷惑だったとすれば、大変申し訳ありませんでしたm(__)m)
     
  4. 意商・著作権にCがあると2級合格者なし(No.29~32)
     トータル点数が低くなったためか、それともCが入ったらダメという委員会の裁定か?
     
  5. 同じ評価でも2級合格と準2級に分かれる(No.22~24)
     No.22とNo.23は、いずれもABBA(スウェーデンのグループw)ですが、結果が割れています。さらに、No.24はABAAで、明らかにNo.22(ABBA)より上なのに準2級。これらはトータル点数によるものと考えられます。Aでも89から70まで幅を持っていますから…。

以上ですが、前々回(2004年秋)の報告を集計したものも手元にありますので、下記に掲載しておきます。

No.特実意商著作権民法他2級準2級不合格
1 A B A B  
2 A B S B  
3 S B A B  
4 S B A A  
5 S A A A  
6 S A A B  
7 A A B B  
8 A B B B  
9 S A S S  
10 A A S B  
11 A B A A  
12 S A A C  

前々回は、民法他がもう少し緩やかだったようで、Bがあっても2級合格者が出ていますし、Cがあっても準2級合格という報告さえありました。なお、特実は、S,Aだけしかデータにありませんが、不合格だった人の報告を見つけられなかったため、Bがあるとダメなのかどうかはわかりません。

パソ通懐古録(その2)

さて、パソ通懐古録(1)が長くなりすぎましたので分けます。

Pecanがパソコン通信を始めた当時、「パソコン通信」という言葉から連想するものといえば、チャットとオンラインソフト(今で言うフリーソフト)の2つが双璧でした。PC-VANではギタリストのクロード・チアリ氏の主催するSIG(フォーラムのようなもの)があり、様々なソフトが登録されていましたが、自分としては使いづらく、自然とNiftyのフォーラムに居着くようになりました。最初の頃は、チャットにはまった時期もありましたが、すぐに飽きてしまいました。

フォーラムは、テーマごとにたくさんのものがあり、Pecanが行っていたフォーラムを挙げてみますと、例えば、FSCIはサイエンス関連の話題を扱ったフォーラム、FGAL**はソフトウエアギャラリーといって色々なソフトウエアが集積されている複数のフォーラムでした。ところで、FGAL**でギャル(死語)が集まっていると誤解した人がいたとかいなかったとかw

フォーラムでは、基本的に複数の会議室があり、新しく来た人が挨拶する会議室、テーマ毎の質問と回答の会議室、雑談の会議室などがありました。匿名(ハンドル)で会議室に書き込み、それに対してレスを返し、スレッドが形成されていくというやりとりが会議室の基本的なコミュニケーションの形態です。ハンドルだけでしか知らない相手と文字だけでコミュニケーションを取る必要が出てくるわけで、ずいぶんと訓練されたような気がします。その中には、様々なネット上の決まり事(ネチケット)がありました。今でもインターネットの掲示板等で“マルチポストはダメ”などという発言をみかけます。要するに、同じ質問を色々な場所で行なってはいけない、というものです。こういったネチケットは、インターネット時代になっても生き残っているんですね。

上述したように、パソコン通信では文字だけのやりとりが基本ですから、通常の世界における実体的な人と人との交わりとは異質なものがあります。なかなか、この本質を理解するのは難しく、フォーラムに参加する人同士でトラブルが絶えませんでした。会って話せば何でもないことなのに、何気なく発した言葉にひっかかり、大きなトラブルに発展してしまう。当時のパソコン通信の達人?から教わったことですが、“かっとなったときには、すぐにレスするのではなく、書いた後、一晩おいて、それでも気持ちが変わっていなければ、レスしなさい”というものがありました。これはパソコン通信に限らず、メールでのやりとりでも基本となります。今でも、仕事等で腹の立つような内容のメールを受け取ることがありますが、そんなとき、返信を書いてからすぐ送るのではなく、しばらく冷却期間をおいてみると、不思議と落ち着いているもので、返信の文面をマイルドに書き換えたりすることがよくあります。これでいくつものトラブルを未然に防止しています(笑)。

ところで、Niftyの場合、フォーラムごとにフォーラムマネージャ、サブシス、ボードリーダーなどの役割を持つ人が決められていて、フォーラム運営を任されており、そのようなトラブルが発生しても、だいたいはうまく仲裁するようになっていました。このあたり、やはり有料のサービスならではのものであり、現在の無法地帯となったインターネットの匿名掲示板とは一線を画していると言えます。

ただ、Niftyもフォーラムとは独立した一般の掲示板(名前も忘れてしまった)があり、そこでは発言者のNiftyのIDこそ表示されるものの、無法地帯で罵倒の泥沼と化した魑魅魍魎の住む世界でした。Pecanも余計なことを言ったか何かで罵倒された経験が(苦笑)。そのうちに、会員情報を公開にしている人しか発言できないシステムになり、若干改善したような傾向がありますが…。

さて、パソコン通信の結果は、全てログファイル(テキスト)に保存されます。このログファイル、オートパイロットで巡回すると、だんだんと巨大にふくれあがってきます。巡回する会議室が増えると、一晩で数千行から数万行にも及ぶ膨大なものとなり、到底目を通し切れません。また、会議室での発言の流れもだんだんと忘れてしまって、さっぱりわからなくなってきます。

うまいもので、専用のログカッター、ログブラウザがMS-DOS時代に開発されており、フォーラムで公開されていました。巡回が終わると自動でログカッターでログを切り刻んで、フォーラムごとに別々のディレクトリ(フォルダ)に落とし込み、それを専用のログブラウザで読んでいくことができます。発言ごとに発言者のIDとハンドル、レスの対応関係(スレッド)が表示され、会議室の発言が極めてわかりやすい状態になっています。読みながら、レスを返したい発言に対しては、発言用に割り当てられたキーを押せば、自動でエディタ(自分の好きなものを設定、PecanはVzエディタ)が立ち上がり、レスを書き込むことができます。書き終わったレスは、パソコン通信ソフトのオートパイロットの、発言アップロード用のディレクトリに自動で保存されます。こうしてレスを書き終わると、明け方に立ち上がるように通信ソフトをセットして就寝するだけ。朝になれば、ログブラウザを立ち上げると、会議室で行なわれた自分の発言を読むことができます。

今から思えば、MS-DOS時代にお世話になったフリーソフトは、機能が簡単でシンプルでした。ログカッターは、ログの特徴的なパターンをマッチングして、決められたディレクトリに保存するだけですし、ログブラウザもパターンマッチングして、表示させればよい。それぞれが他のソフトとの関係を意識して作られていましたから、組み合わせることによって、極めて快適なパソコン環境を作り出すことができていました。他にも、ファイル管理ソフトでは、FD(作者の出射厚さんが亡くなられたそうで、ご冥福を祈ります)やFILMTN(フィルメンテ)は、圧縮解凍ソフトのLHAやエディタなどの外部ソフトと極めて良好に連携させることができました。PecanはFILMTNを基本的な操作環境にして、使用するアプリケーションは全てこのソフトにショートカットキーとして割り付けていました。

ところで、Windowsになってからは、複数のソフトを相互に連携させて使うなどということはあまりやられていないようです。一つ一つのソフトが重くてサイズも大きいため、複数の機能を一つのソフトの中に備えていなければ使いづらいからだろうかと思っています。

話が逸れました。

パソコン通信をやっていた時代は、だいたい91年から2000年の約10年間で、後半の5年はインターネットが普及した時期と重なっています。当初は、なかなかインターネットのメールとNiftyのメールが接続しないため、使いづらかったな、という記憶があります。

さて、パソコン通信でどんなことをやっていたか、記憶をたどってみると、だいたい次の4つを熱心にやっていた記憶があります。

  • パソコンでの音楽演奏・作成(92~95年頃)
  • LaTeX(92~97年頃)
  • MS-DOSでのメモリ領域確保(93~95年頃)
  • 知人のホームパーティでの活動(94~2000年頃)

それぞれ、書いていくと非常に長文になってしまいますので、折を見て懐古してみたいと思います。

パソ通懐古録(その1)

さて、前回の続きとして、PC懐古録(その3)にしようと思いましたが、内容がPCというよりはパソコン通信ですので、“パソ通懐古録”としました。90年代のパソコン通信全盛時代を、Pecanの視点から振り返ります。実は昨日書きかけたんですが、例によって、操作ミスで吹っ飛んでしまって(<全く学習能力を欠いてますねw)。今後は下書き保存しながら書くことにします。

Pecanが最初にパソコン通信にかかわったのは、91年の秋頃だったと思います。まだ、PC-9800LX4という持ち運び可能ポータブルパソコンを所有していた時代。ちなみに、これは89年に約56万円という、Pecanの給料3ヶ月分をつぎ込んで買ったもの。当時はこれくらいの価格が当たり前でしたが、今から考えれば、NECがボロ儲けしてたんとちゃいますかね? これにつなぐモデム(2400bps)を買ってきたのが始まりです。

モデムに同梱されていた申込書を使って、PC-VANとNifty-serveにIDをとりました。大手以外にも地元のBBS(草の根などと呼ばれていました)にも加入して、チャットしたりOFF会にも行ったりしました。

通信ソフトは、一世を風靡したWTERM。非常に優秀なフリーソフトでPC-VANやNifty用にオートパイロットのマクロがいくつも公開されていて、ずいぶんとお世話になりました。オートパイロットとは、なるべく電話代を安くするため、自動で接続して必要なフォーラム等を回って、会議室の発言をダウンロードしたりアップロードしたり、ソフトをダウンロードしたりして、巡回終了後、直ちに電話を切断するものです。そうそう、電話代のことを“みかか代”などとも言いましたね。疑問に思われた方はググって見て下さい。

当時は、アクセスポイントが各県にあまりなかったので、地方に住んでいると、すぐに話中になってしまい、なかなかかかりづらいものでした。そこで、アクセスが少なく空いている夜中にソフトを自動起動してオートパイロットのスクリプトにしたがって自動的に処理し、朝、発言内容やダウンロードしたソフトを確認するというのが基本的な流れでした。そのうちに、NTTのテレホーダイというサービスが始まって、夜11時から朝7時まで(だっけ、もう忘れたしw)が定額料金になったので、このテレホタイムの開始直後に接続して朝までずっと回線を独占するという極悪なこともかなりやりました。一度切るとつながらなくなるし。覚えのある方も結構いらっしゃるのでは(笑)。

MS-DOS時代に数年間お世話になったWTERMですが、95年にDOS/V機でWindowsになってからはNifty専用の通信ソフトNiftermに乗り換えました。これはオートパイロット自体が機能として組み込まれていて、ほとんど自動で何でもできました。説明書には“シェアウェアの料金の支払いだけは手動でやって下さい”などと書かれていた記憶があります。年間900円のシェアウェアでしたが、あれだけたくさんお世話になれば、十分元は取れたと思います。

最後に余談ですが、私がパソコン通信を始めた当時のNiftyは、会員情報というところで、相手のIDを入力すれば、会員情報(名前と居住地)が自由に閲覧できる時代で、名前からIDを検索することさえ可能でした。公開・非公開は設定できたような気もしますが、当時は電話帳に名前を載せないなんて考えもしない時代でしたから、かなりの人が公開にしていました。Pecanも知り合いの名前を検索しては、“失礼ですが、△△におられた○○さんですか”などとメールした記憶があります。今でこそ、不審メールとして処分されてしまうでしょうが、当時は結構返事があり、知り合いを数人捜し当てた記憶が(笑)。

PC懐古録(その2)

さて、お待ちかね<誰が? のPC懐古録(その2)です。

NECのPC98については、Windows95がリリースされたのを機に見切りをつけ、DOS/V機に乗り換えました。DOS/Vの初号機は、当時DOS/V誌で最高得点を叩き出していたショップブランド機 JCS Vintage133(Pentium133MHz)。モニタやら一式全て入れ替えたので、40万円近くかかりました。よく奥さんが許してくれたものです。仕事では、なかなかNECのPC98シリーズとの縁が切れず、Epsonの互換機(名前ももう忘れた、確かPC-486だっけ)をしばらく使いました。何かPentiumのCPUアクレセラレータを積んでいたような記憶がかすかにある…。

その後は、数年ごとに筐体やパーツを入れ替えて、現在は四代目のマザーボード(GigabyteのIntel 845G + Celeron1.7GHz )になります。98年に改造した二号機でマザーをATからATXに変更し、筐体・キーボードもほとんど入れ替えてしまいましたので、初号機からの現役の部品は、TekramのDC-390というSCSIボードだけ。現在、ビデオもオンボードですが、主にネット接続とMicrosoftのOffice関係がメインの用途の私としては、特にストレスを感じないので、これでよしとしています。

初号機の筐体(AT用)は、ジャンクのATマザーを使い、息子用のPC(K6-2 300MHz)として最近まで現役で動いていました。さすがに昨年HDD(Maxtor8G)が飛びました…。

95年に初号機を買ったときに、インターネットに初めて接続しました。28.8kbpsのモデムで、地元でサービスを開始したばかりのプロバイダに加入しました。初めてYahooのホームページが表示されたときの感激は忘れられません。それまでは2400bpsでパソコン通信(別の懐古録で触れます)をやっていたので、遅いのになれていましたから、リアルタイムで画像を表示されるのは夢のようでした。その後、デジタル回線にして64kbps(2回線で128kbps)での接続も相当長く続きました。

ブロードバンドは最大手のプロバイダがADSLのサービスを開始したのに合わせて申し込み、つながるまで約半年待ちました。2002年頃だったでしょうか。今では、10MbpsのADSLに有線のブロードバンドルータにメルコの無線LANユニットを噛ませて使っています。今なら無線LANユニット自体がブロードバンドルータになっているのが普通なのでしょうが、最初に無線LANを入れたときにはブロードバンド自体が存在していなかったので、つぎはぎになりました。電話局から比較的近いせいか、だいたい常時5Mbps出ており、現在の使用状況では特にストレスはありません。今のところ、光にする必然性も感じてませんので、ADSLが廃れるまではこのまま行くと予想しています。

ところで、2週間くらい前に久しぶりに部品の入れ替えをやりました。DVD-ROM専用のドライブを書き込み可能なドライブ(LG電子 GSA-4167B)に変更したのです。このドライブはDVD±R、±RWはもちろん、RAMや片面二層(±R DL)に対応しているということなので、店頭で見かけて何も考えずに衝動買い購入。PanasonicのDVDレコーダーを持っている身としては、DVD-RAMが読めるのはありがたいことです。といって、RAMは高いんであまり使ってないのも事実ですが…。

買って帰ってから、ネット上で色々な情報を見ていてわかったのですが、この機種は日立LG電子という会社(合弁?)が開発したものをLG電子の方で作っているようですね。日立自身も作っているのか? 何だかよくわからないけど、ま、6000円台で昔の水準から考えるとめちゃくちゃ安い買い物だったなという印象です。ただ、PC部品を作っているメーカーの立場で考えてみるとこの価格下落は大変ですね。

初期不良がないか心配だったのですが、一杯になりつつあったHDD(80GB+30GB)のうち、10G程度DVD-Rに移動しました。あと、以前ピアノ教室で作ってくれたコンサートのDVD-ROM2枚組を圧縮して1枚に焼いてみました。特に異常なくほっとしました。安かろう悪かろうだった韓国製品のイメージも今は昔になりつつあるのかもしれません。

あれっ、懐古録じゃなくて最近の話になってるぞ。というわけで、この辺で終わります。性懲りもなく、次回は古き良き90年代のパソコン通信時代を懐古します。

検診で異常が…

今日、先日受けた成人病検診、いや今は生活習慣病検診というのか、の結果が戻ってきました。思わぬ異常が出ていました。

  • 心電図異常…異常Q波(これは心筋梗塞だから仕方ないよね)
  • 肝機能異常…ALTがやや高め(以前から同じ値で推移、原因は脂肪肝)

今回問題なのは、

  • 尿酸代謝異常…正常値0.01~7のところ、8を超えてる(痛風の恐れ有り)

多分、今服用している薬によるものでしょう。一番可能性の高いのは、ラシックス錠。副作用の項目を見ると、「尿酸値の上昇」「糖尿病や痛風を悪化させるおそれ」と書かれてます。何事も経験などと言いますが、“風が吹いても痛い”と言われる痛風は経験したくないリストのトップの方に位置しています。ちょうど今度の月曜日に検診があるので、検診結果を持っていって相談してみます。それまでに発症しないといいなあ。

いずれにしても飲む薬は少ない方がいいに決まっているので、他の薬(現在7種類服用中)も減らす方向で相談します。

PC懐古録(その1)

今日は懐古趣味に走って、PecanとPCとの関わりについて記憶をたどってみたいと思います。

Pecanがコンピュータなるものと初めてかかわりを持ったのは、かなり昔です。そのまえに背景について少し触れておきましょう。

小学生の時は理系少年で、小学校中学年の時に買ってもらった電子ブロックでエレクトロニクスにはまりました。で、当時名古屋の近くに住んでましたので、大須の電気店街に出かけては、部品を集めて、単球ラジオ、レフレックスラジオ、スーパーヘテロダインラジオ等を作りました。AC100Vに触れて感電したことは数知れず。愛読誌は「子供の科学」から始まり、「ラジオの製作」(通称ラ製)、「初歩のラジオ」(通称初ラ)。だいたいは雑誌に載っていた実体配線図を見ながら作っていました。さすがに、回路図から実体配線を起こすのは子供には難しい。「子供の科学」以外は廃刊になってしまったようで残念です。

小学校6年の時にアマチュア無線の電話級をとりました。コールサインはJE2***(一応匿名にしとく(笑))。6m(50MHz帯)でデビューしたもののこれはあまり面白くなくて長続きしなかった。よく覚えているのは、自分のコールサインを相手のコールサインよりも先に言ったか何かで相手の大人にマナーがなってないと怒られたこと。その他、リグ(無線機の業界用語;TRIO製でした)のニッカドのバッテリーの調子が悪くてすぐに切れてしまうなど、あまりよい思い出がありません。

さて、ここからコンピュータとの関わりについての話になります。

中学に入ってからは、しばらくエレクトロニクスの世界から離れていましたが、中三のときに、併設の高校の学園祭を覗いてビックリしました。人間がコンピュータとオセロを対戦している! これは自分にとって極めて衝撃的なことでした。当時、NECがTK-80というマイコンを出したことまでは知っていましたが、中学生の小遣いで買えるような金額ではない(9万くらい)ので、あまり興味はありませんでした。ラ製などの雑誌に載っている画面でも、今でいえばPCIボード程度の大きさの回路基板に電卓のような16進キーと表示管が搭載されているだけ。プログラムも表示管を思いのままに点灯させるなどという愚にも付かない(当時のPecanの感覚)ものばかり。

それがどうでしょうか。この学園祭の高校生はTK-80ではない別のワンボードマイコン(今から思えば多分Lkit-16)を駆使して、グリーンモニタ上にオセロゲームを表示していました。ただ、表示させるだけではなく、人間と対戦しているという事実、あのおもちゃみたいな機械が「考えている」という事実にもの凄く興奮しました。まさかこれほどのことができるとは…。

そして、対戦が終わったときに、おもむろにフラットケーブルでつながれたジャンクのようなキーボードで画面のわけのわからない表示(アセンブラだったか、Tiny-Basicだったか?)で命令を書き換え始めたのです。なんて格好いいんだと、うっとりしました(笑)。今から思えば、オタクに惚れたようなものでしょうか。

その日から愛読誌は、「マイコン」「I/O」「RAM」の三誌に変更。ただ、コンピュータは今のように必需品ではなく、単なる道楽のようなものですから、すねかじりの身ではとても親に買って欲しいと言うこともできません。高校に進んでからももっぱらプログラムを考えるのは机上で。プログラムの検証のため、学校の帰りに大須に寄っては、NECのBit-INNでTK-80BS、別の電気店(カトー無線)のデモ機の日立のベーシックマスターL2を閉店までいじっていました。大学へ進学するモチベーションは、自分のコンピュータを手に入れるということがほぼ全て。Pecanの親父さんもその辺をうまく見抜いていたようで、大学に入ったら好きなコンピュータを買ってやると暗黙の了解ができておりました。受験勉強後、大学に合格し、当時最新(でもないけど)のNECのPC-8001を買ってもらいました。

その後は省略しますが、実際に自分が所有していたPCは、

PC-8001 → PC-8801(無印) → ここで約7年ブランク → PC-9801LX4 → PC-9801ES2

と続きます(95年夏まで)。大学に入ってからは、他にいろいろとやることが見つかりましたので、高校時代に考えていたほど、コンピュータに熱中したわけではありません。もし熱中していたら…。きっと、ITの世界で有名人となっていたかも(笑)

なお、ブランク時もクラブ活動などでかなりPCを使いましたし、研究室では、それまで手書きがあたりまえだった卒論をワープロ(一太郎ver2)で書いた第一号になりました。社会人になってからも、研究者の頃は測定器を制御するプログラム(DOSの時代はN88-BASICかTurbo-C、WindowsになってからはVisual Basic)を組んだりしていました。最近ではExcelやWordの作業が多いので、VBAでマクロを組んだりすることも多いです。先日、意見書を自動化するなどとほざきましたが、あながち夢物語ではないと思っています。

ここまで読まれた方はいないかも知れませんが、もしいるとすれば、おつきあいいただきありがとうございました。PC懐古録(その2)では、DOS/V以降の関わりを懐古します(そんな言葉ないって?)

迷わず轢けるか

先月27日に静岡で猫を避けようとしたドライバーが、園児の列に突っ込み、意識不明の重体が1名、保育士1名と園児4名が重傷、31人が軽傷を負ったという痛ましい事故がありました。

猫を轢くか、園児の列に突っ込むか。冷静な頭で考えれば、どちらを選択すべきかは簡単に理解できると思います。そのまま猫を轢くのが正解。

急ブレーキを踏むという選択肢もありそうですが、例えば、後続車から追突される危険もありますし、ブレーキを踏んで車輪がロックすると車は制御不能になります。さらに、道路交通法第24条「車両等の運転者は、危険を防止するためやむを得ない場合を除き、その車両等を急に停止させ、又はその速度を急激に減ずることとなるような急ブレーキをかけてはならない。 」の規定にも違反することとなると考えます。判例を確認したわけではありませんが、猫を避けることが、「危険を防止するためやむを得ない場合」に該当するとは到底思えません。一瞬のうちに後続車がいるのかどうか、急ブレーキを踏んだら追突するか間に合うのかなど、判断することは難しいです。ここは急ブレーキよりもそのまま轢くしかない、と思われます。園児の目の前で猫を轢くことの是非が問われるかもしれませんが、これは別次元の問題。

今回の事故の場合、片側1車線の幅6mの道路だそうで、運転者としては、園児を見た段階でスピードを落として徐行すべきだったのだろうと思います。徐行すれば後続車も徐行するでしょうから、仮に急ブレーキを踏んだとしても、そのまま止まれる可能性が強く、追突されても大きな事故になる可能性は低い。

実際に同じシチュエーションで正しい判断ができるかどうかわかりません。猫を轢いてトレーニングするわけにもいきませんし…。ただ、運転するときは、常に次にどうすべきかを頭に入れておかなければならない、と再認識させられました。

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